最初からなかったものになりたい。

毎日毎日そう考えている。
まだ仕事が決まらない。

もう神経が張り詰めるIT関連の最前線では戦えない。
それは十分分かりきってる。
だから、IT関連の裏方とか、昔長いことやっていた事務系とか
色々と調べる。
興味のある職種(未経験OK)も視野に入れて。
勿論、就業時間や賃金、福利厚生も忘れずに。

念入りに絞って申し込むも、書類選考は通っても面談でダメ。


今のわたしは他人から見たらダメな人間に見えるのだろうか。
何とか年内に仕事が確定しないともう生きていられないのに。

辛い

2006年12月12日
何もかも辛い。

息をするのも
食べるのも
飲むのも
寝るのも

もう何もかもが辛い。

私もウザイ?

2006年11月8日
メールの返事が来ません。
あれから三通出しました。

メールの返事が来ません。
もうアナタには私はウザイ存在ですか?
今日の午後、夕方近くに友人から携帯メールに連絡が入った、

「今、○○。高速渋滞で大変だったよ〜」
こんな本文と共に画像が添付されていた。
画像は、湖に沈む夕日の様子が写っていた。

○○とはよくドライブに行くところだ。
友人ともう一人の友人(車持ち)との三人で○○だけでなく、よくあちこち出かけていた。
そう、「いた」。

もう過去形にしないといけないのかと思う。
10月上旬で、約1年勤めた会社を辞めた。
このまま続けていたら死ぬから…身体も心も。

10月下旬から勤め始めた会社は、今日解雇された。
今は体調もよく、勤務先の条件も身体に負担の無い内容であったので、主治医も転職を勧めてくれた。

ただ、ワンマン社長と聞いていたが、ケタが想像を超えたワンマンで、己の感情の赴くまま従業員に無理難題や暴言を吐く。

今日、いきなり個別面談をし始め、最後に呼ばれた私が被害者になった。
最初から人の話を聞く状態じゃない。
何を言っても怒っている。
何を言っても聞いてもらえない。
私の全てが否定された。

…他の人の話だけを鵜呑みにして。

理不尽な行為に対しての怒りと悲しみが同居する感情の中で、まだ私は生きていくことを模索しなければいけないのか。

苦しい

2006年10月21日
ココロが苦しい
カラダが苦しい
何もかもが苦しい

苦しい
苦しい
苦しい


あとどれだけ苦しめば楽になれるのだろう?
仮に友人Aとしよう。

Aとの付き合いは長い。
最初はネットで知り合い、リアルで会うようになり、もう10年近くになる。

Aにはワタシの病気のことは伝えてある。
でも具体的にどういうものかは理解していないようだ。
本人に聞いたことは無いが、理解してる人間ならば言わない言葉を言うから。だからAは理解していないと思う。

Aもちょっと前に仕事から来るストレスで鬱になりかけた。
産業医のいるちゃんとした会社に勤めているし、聞いた症状からしてなりかけているのが分かったので、何とか説得し、本人はしぶしぶ言いながらも産業医にかかり職場の上司や同僚の理解を得て一時期はゆったりと会社勤めをしていた。

そんな経緯がありながらも依然としてワタシに対して平気で傷つく言葉を投げかける。

仮にBという人間が居る。
Bはワタシの遠い親戚にあたる。
Bには看護士の妹がおり、ワタシの病気のことも「理解している」という。
しかし、時々本当に理解しているのかと疑問になる言葉を投げつける。何を言っても話にならないので黙ると『不満があるならハッキリ言えよな。理解して欲しいなら、ちゃんと話して欲しいし。』とこともなげに言う。

ワタシは何度も言ったし話もした。
でも結局は伝わっていなかったのだ。
届かない言葉は風に乗りワタシの知らない場所に行ってしまった。

いつだって話しても堂々巡りになるから会話を切っているのに、それにすら気付いてもらえない。
言っても無駄。促しても無駄。
気付いてもらおうというのはやはりおこがましいのだろう。

ああ、やはりワタシは独りなのだと思う。
ねぇ、ワタシは一体あなたたちの何なのですか?
前にも言って(書いて)いるが、私は、友人には病気のことをオープンにしているし、してはいけない人(ところ)では完全に口を閉ざしている。

だがやはり、理解してもらおう、理解を得ようというのはおこがましい行為なのだろうか。

「仲の良い友人だ」と思っていた相手にも理解されない。
 →付き合いが遠のく
「家族の理解が必要です」と医者は言う
 →遠く離れた田舎との意思の疎通は不可能であり
  田舎ゆえに情報がなく理解されない
「病は気からというじゃないか」
 →気力で治るものならとっくに治っている

こういうある種の『内部障害』は見た目にはわからないので理解しがたいのはわかるが、だからといってこのままでいいのだろうか。

どこかが悪いなら検査をしたら数字が出てくるものだろうけど、私は特殊な体質らしく、数値には一切反映されない。反映されるのは重症化したときのみ。
そう、亡くなった父もそうだった。
まだ結果は出ていないけれども、多分そういう類の体質遺伝があるのかもしれない。

表立って「○○病」ですね。と数字で診断されるような要素は今のところ無いけれど、一歩間違えれば命に関わる爆弾に変化する数字を持っている私は、常に緊張感に追い立てられている。
いっそ発病してくれたほうがこの不安と原因の特定できない症状から楽になれるのに。
Today is a very good day to die.
Every living thing is in harmony with me.
Every voice sings a chorus within me.
All beauty has come to rest in my eyes.
All bad thoughtrs have departed from me.
Today is a very good day to die.
My land is peaceful around me.
Myfirlds have been turned for the last time.
My house is filled wirh laughter.
My children have come home.
Yes, today is a very good day to die.

〜今日は死ぬのにもってこいの日〜

いつかこの詩のように全てを達観できることができるのだろうか。

父の日

2006年6月18日
父の日を 祝う事は もう ない。

ことば

2006年6月16日コメント (1)
「大丈夫」
この言葉はわたしの意欲を削ぐ。
何がどう大丈夫なの?

「頑張れ」
この言葉はわたしの活力を奪う。
何をこれ以上頑張るの?

「話なら聞くから」
この言葉はわたしを傷つける。
何を話せばわかってくれるの?

わたしのことがわからないなら何も言わないで。
そっとしとしといて。
放っておいて。

それがお互いにとってきっといいことだから。

息を殺して

2006年6月15日
身体を小さく小さく縮めていよう
誰も私に気付かないで
誰も私に構わないで

私がいることが邪魔ならば
隅っこで小さくなっているから

私が視界に入るのが不快なら
あなたの目の届かないどこかへ行くから

私が存在していることが不満なら


どうすればいいのかな?

悪役を演じよう

2006年6月14日
仕事でミスが発生すると、誰かが悪者にならなくてはならない。
それが会社。

不都合なことが起こると、誰かが悪者にならなくてはならない。
それが会社。

本当はこちらに非が無くても、誰かが悪者にならなくてはならない。
それが会社。



いつまで悪役を演じていればいいの?
誰か教えて。

日々は流れる

2006年6月7日
四十九日も過ぎ、気付いたらアタシは東京で一人ぼっち。

仕事も半端、生活も半端、体調も半端。

全部が半端。


半端なアタシはどこへ行けばいいんだろう。

一ヶ月

2006年4月28日
月末最終日。
外は天気が良くて。
仕事は終わっていて。
上司は皆出かけていて。

コンビニでお昼を買って公園で食べた。
食べ終わって一息ついたら、何故か家に電話したくなった。
出た母と少し話をして……。

そうか、あれから一ヶ月経つんだ。
遅いのか早いのか。
それはもう少し過ぎてみないと分からない。

2006年4月24日
たくさんたくさん触れていたかったから
長い爪は切った

たくさんたくさん触れていたかったから
苦手な朝も早く起きた

たくさんたくさん触れていたかったから
夜遅くまで傍に居た

たくさんたくさん触れていたかったのに
もうあの暖かな肌には触れられない

今触れることが出来るのは
私が作るお菓子を美味しいと食べてくれた歯と
それを口元に運んでいった指

不思議と触れると暖かい

庭の枝垂桜

2006年4月19日
都心の桜はもう終わり、殆どが葉桜。
日照条件の関係と遅咲きの種であるアパートの枝垂桜。
今年は綺麗に咲いた。
去年は天候不順もあって、花と葉が同時に出てきた枝垂桜。

「今年はハズレだけど、その分来年綺麗に咲くよ」

そう言っていた大家のおじいちゃん、おばあちゃん。
二人はもういない。

おばあちゃんは冬を越せずに逝ってしまった。
おじいちゃんはおばあちゃんを追うように逝ってしまった。

二人が言っていたように、今年は綺麗に咲いた枝垂桜。
10年以上見続けて、今年が一番綺麗かもしれない。


悲しいくらい、綺麗だ。
父が亡くなりました。


今年は、一体何人と別れればいいのだろう。

ふと振り返る

2006年2月13日
あれからどのくらい時が経ったのだろう
その間、私は何をしていたのだろう

一つ言える事は
どんなにしんどくていろんなことでイヤになっても
歩いていたということだけ。


今の私を「何」と言えば良いのかはわからないけど
砂漠の砂の一粒くらいには存在していたということ

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